東海道
東海道は権力を握る二つの都、江戸と京都をつなぐ最も重要な幹線道路であった。京都には国の象徴である天皇が、江戸には実際に国を治める将軍がいて、すべてのコミュニケーションや輸送がこの街道を頻繁に往来した。利用したのは商人、貴族、僧侶や旅人など、あらゆる階級の人々である。街道沿いの美しい風景や歓楽地など、浮世絵師たちはこの「移動する文化」のなかにいくらでも主題を見つけることができた。
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東海道の巨匠
広重は1832年に東海道を浮世絵版画の連作にし始めた。主題は街道の53か所の宿場町すべてである。広重は亡くなるまで東海道を版画にし続け、20シリーズ以上に及ぶ連作が繰り返し再版された。作品ごとに新たな視点が取り入れられ、同じ図柄は一枚もない。
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旅の歓楽
東海道を主題にした浮世絵版画はベストセラーになった。この主要幹線道は19世紀の間に人気の国内旅行先となり、数えきれほどの宿、茶屋、みやげもの店のみならず遊郭までが街道沿いに並ぶようになった。ガイドは富士山や日本橋など観光名所の眺望ポイントに旅人を案内した。旅人たちは訪れた場所の浮世絵版画をみやげに喜んで買っていった。